女の子はロマンチックなのが好きなはずだ。 初めてのキスは、夜景の見える展望台でとか、観覧車の中でとか、いろいろ理想があるはずだ。 そんなの全部台無しで、学校帰りの公園で、しかもいきなりって!! ファースト・キス 「あ〜もう少しで実技試験だよ〜どうしよ〜」 いつもの香穂ちゃんとの帰り道。 二人並んで夕方の通学路を歩く。 いつも香穂ちゃんが隣にいるだけですごく安心できるのに。 今日の俺はなんだか心が沈みがちだ。 なぜなら、星奏学院の大学部に進学を希望している俺は、もう少しで受験の実技試験を受けなくてはならないからだ。 「あ〜どうしよー緊張しちゃうな〜」 という訳で、情けなくも香穂ちゃんに弱音を漏らしているのである。 「大丈夫ですよ〜火原先輩なら」 左横を歩く香穂ちゃんは俺に微笑みかけた。 柔らかなその微笑み。 それだけで、俺の心は癒されるのだから、ゲンキンだ。 「そっかな〜失敗したらどうしよう」 君に励まされたくて、思わずそんな弱音を吐いてしまう。 香穂ちゃんはあごに人差し指を当てて、う〜んと考えると不意に俺の腕を取った。 「火原先輩、ちょっとこっちに来て下さい!」 そう言うと、公園の中へ引っ張っていく。 え!?何!? 香穂ちゃんに腕をつかまれているだけでドキドキするのに。 予想外の反応に、心臓がうるさいくうらい不規則なリズムで脈打つ。 香穂ちゃんは、公園の中程まで来るとベンチに鞄を置き、持っていたケースからヴァイオリンを取り出した。 「火原先輩!合奏しましょう!!」 「…はい?」 「いいから早く!トランペット出して下さい」 「はっ、はい!!」 俺は言われるがままに持っていたケースからトランペットを取り出した。 香穂ちゃんの指から、ヴァイオリンの旋律が流れ出す。 これは。 ガヴォット? 軽快なリズムが響き渡る。 そう、これは初めて香穂ちゃんと合奏した曲。 音楽は楽しいものだよって。 あの時俺はすごく楽しかったのを覚えてる。 香穂ちゃんは弾き終わると、俺を見てにっこりと笑って言った。 「私に最初に音楽の楽しさを教えてくれたのは火原先輩です。先輩、その時言ってくれましたよね、『自分がもっと楽しまなくちゃ』って。私、先輩のトランペットが大好きです。だから、もっと自信を持って下さい」 −その笑顔は、陽だまりの中のひまわりみたいで。 暗闇に沈んでた俺の心は一気にあったかくなる。 それと同時に、心臓の奥がぎゅっとなって。 気づいたら、彼女の肩を抱き、くちづけていた。 優しく触れるだけのキス。 それだけで、すごく安心できて。 まるでパワーを分けてもらうみたいに。 そっと唇を離して、ゆっくりと目を開ける。 そこで初めて彼女の顔を見た。 彼女は目を見開き、まばたきもせず何が起こったのか分からない顔をしている。 そこでやっと俺は我に返った。 その瞬間、全身が瞬間湯沸かし器みたいにボッと熱くなる。 −俺、今香穂ちゃんにとんでもないことを…!! 「…!!ごめん!!」 それだけ搾り出すように言うと、鞄を引っつかみ逃げるように走り出す。 駅まで、全力疾走。 トランペットのケースを置きっ放しにしてきたことに気が付いたのは、電車に飛び乗った後だった。 あ〜なんで俺逃げ出してきちゃったんだろ…。 家に帰り着いた俺は激しく後悔した。 しかも香穂ちゃん置き去りにしてくるわ、トランペットのケースを置きっ放しにしてくるわ…。 …香穂ちゃん、どう思っただろう…。 ちゃんと付き合っているわけではない。 登下校を一緒にして、ただなんとなくお互い心を通わせ合っているとうぬぼれてもいいかな、という程度。 …それなのに、いきなりキス、なんて…キ、ス!? 思い出しただけでも顔がかあっと熱くなる。 思わず彼女の唇の感触を思い出す。 柔らかくて、あったかくて。 愛しさが溢れてくる。 香穂ちゃん、びっくりしてたな。 彼女の顔を思い出す。 …もしかして、いきなりで怒ってる!? 女の子はロマンチックなのが好きなはずだ。 初めてのキスは、夜景の見える展望台でとか、観覧車の中でとか、いろいろ理想があるはずだ。 そんなの全部台無しで、学校帰りの公園で、しかもいきなりって!! …だいたい、俺ほんとに香穂ちゃんに好かれてる…? いつまで考えても答えは出なくて。 とりあえず、明日家に迎えに行って謝ろう。 そう心に決めた火原は眠れない夜を過ごしたのだった…。 とうとう放課後まで香穂子には会えなかった。 終業のチャイムと共にダッシュで普通科の校舎へと向かう。 朝、香穂子の家に迎えに行った火原は、お姉さんの「香穂子はもう学校に行っちゃったわよ。ごめんね火原くん」という言葉に迎えられた。 そして休み時間、昼休み、香穂子のクラスにちょくちょく様子を見に行ったのだが、いつ行っても香穂子はいなかった。 その頃になると、前向きな火原の頭にも「避けられている」という言葉が浮かんだのだった…。 息せき切ってたどり着いた2年2組の教室には、やはり香穂子はいなかった。 「あー火原先輩!」 友人と何か楽しそうに話していた天羽は、火原に気付くと声をかけてきた。 「はいこれ」 天羽の差し出したのは火原のトランペットケースだった。 「香穂に用事があってきたんですけど、あの子そうとう急いでたらしくて。もう帰っちゃいましたよ。もし火原先輩が来たら渡してくれって。…まさかケンカでもしたんですか?」 「それっていつ!?」 火原の剣幕に、驚きつつも天羽は答えた。 「ついさっきですよ。追いかければ間に合うんじゃないですか?」 「ありがと!!」 言うなり、天羽の手からケースをひったくるようにして奪って走り出す。 …ほんとに嫌われちゃった!? もしかして、顔も見るのももう嫌で、俺のこと避けてる? 募る不安が胸を押しつぶしそうになる。 早く、もっと早く君のもとへ。 火原は走った。 昨日と同じ公園に、香穂子はいた。 小さなベンチにちょこんと座って。 汗だくになって走ってきた火原を見つけると、はっとしたように慌てて立ち上がって走り出そうとする。 「待って、香穂ちゃん!!」 俺は走り出した香穂ちゃんの手を後ろからつかむ。 「…どうして俺のこと避けるの?やっぱり昨日のこと怒ってるの…?」 後ろを向いたままの香穂ちゃんの表情はうかがい知れない。 「いきなりでびっくりしたよね、ほんとごめん。…でも」 「…どうして謝るんですか?」 蚊の泣くような小さな声に、俺ははっとした。 「ほんとに嬉しかったのに、どうして謝るんですか」 香穂ちゃんの手を引き寄せると、そこで初めて振り向いた香穂ちゃんと目が合った。 目は潤んで顔は紅潮しているけど、決して怒っている顔じゃない。 …むしろ泣いてる…? 「後悔してるんですか?あれは冗談だって思った方がいいんですか…?」 「ち、違うよ!!後悔なんかしてないし、冗談でもないよ!!昨日謝ったのは、いきなりだったからで。…俺はほんと香穂ちゃんが好きで、好きで…。ずっと、そうしたいと思ってた」 香穂ちゃんの顔がみるみる赤くなる。 「…ほんとですか?」 「ほんとだよ!!…俺は君のことが好きです。順番は逆になっちゃったけど、俺と付き合って下さい」 その瞬間。 あのひまわりのような笑顔で。 「…はい。私も、火原先輩のことが大好きです」 小さな体を抱き締める。 「…ごめんなさい。今日は火原先輩のこと、どういう顔で接したら分からなくて。…恥ずかしくて。ずっと避けてました」 「俺の方こそほんとごめん。、その…。逃げたのは初めてでちょっとパニックに陥っちゃって…」 え?と香穂ちゃんが体を離し気味に不審げな顔で問いかけてくる。 「ほんとだよ!!これでもいろいろ考えてたんだよ!!もっとロマンチックなシチュエーションでとか…。夜景の見えるレストランとか、夜の観覧車とか…」 そこまで言うと、香穂ちゃんはくすくすと体を震わせ、笑い出した。 「わ、笑わないでよー、これでも真剣に考えたんだよ」 「ごめんなさい、でもすっごく火原先輩らしいです」 そして俺の大好きなひまわりみたいな笑顔で笑う。 「火原先輩となら、何処だって嬉しいです」 「…ね、香穂ちゃん」 「何ですか、火原先輩?」 キスしていい? って聞いたら、君はバラのように赤くなって小さく頷いた。 |
||
<あとがき> 火原のうっかり感がうまく表現出来ていればいいのですが。 火原が電車通学なの?っていうつっこみは置いといて下さい(汗) close |