最後の言葉は何だったか。
…さよなら、か、お互い頑張ろうだった、か。
もしかしたら、「ありがとう」だったかもしれない。


そんな風に言えたのも、日野、お前さんのお陰なんだぜ。




Last Call




天羽にしつこく電話の主を追及されて、つい日野に携帯を渡して音楽準備室に帰ってきちまったが。
…そろそろ、落ち着いた頃か。
準備室にある固定の電話で自分の携帯の番号をコールする。
何回目かの呼び出し音で、相手が電話に出るのをためらっていると感じる。
…頼む、出てくれ。
想いが通じたのか、それからしばらくしてやっと望みの相手が電話に出た。
「…もしもし、あの、今金澤先生は近くにいなくて私は代理の者なんですが…」
「日野?」
「あ、先生。良かった。携帯預かったもののどうしようかって先生を探してた思ってた所なんですよ」
ほっとしたような日野の声が電話口から聞こえる。
「音楽準備室からかけてるんだ。今どこだ?」
「森の広場です。ひょうたん池の近く…」
「じゃあひょうたん池の橋で待ち合わせしよう。今からそっちに行くから」
「はい、分かりました」
俺は、受話器を置くと音楽準備室を飛び出した。




「先生!」
森の広場の、ひょうたん池にかかる橋の上で、日野は待っていた。
「悪いな、預かってもらって」
「いえ、でも、天羽さんが携帯見たがって大変でした」
笑いながら、携帯を渡そうとした日野は、受け取ろうとしない俺を不審そうに見た。
「先生…?」
「…中、見たか?」
日野はちぎれるんじゃないかと思うくらい激しく首を左右に振った。
「まさか!?見てません!!」
「見てもいいんだぜ。…お前さんになら、見られてもかまわない」
日野ははっとした顔で俺を見た。
…そう、別に見られたって問題は無い。
「彼女」に電話したのは後にも先にも本当にさっきだけだ。
そして、もう何のわだかまりもない。
日野は、しばらく携帯をじっと見つめる。
そして、ぎゅっと俺の携帯を両手で握り締めた。
「…見れません、これは先生の大切な物だもの。先生の思い出は先生のものです。私が入り込んでいいところじゃない」
その顔は、何かをこらえるような切ない顔で。
見ているこっちが痛々しくなる。
「…だから、これは返します」
そう言うと、俺に壊れ物を扱うようにそっと両手で携帯を差し出した。
俺は、携帯を日野の手から受け取る。


…思い出、か。
日野はああ言ったが、そんな守るような程の思い出じゃない。
確かに恋焦がれ、胸を締め付けるような激しい感情を抱いた時期もあった。
そして、相反する憎しみ、怨み。
それさえも人を愛するということなんだろう。
あの頃は、つらくてつらくて、もう何もかもどうでもいいとさえ、思った。
二度とこんな感情を誰にも抱くまい、とも。
−しかし。
目の前で泣きそうにうつむく少女に、俺は再びそんな想いを抱いている。
その震える肩を、思い切り抱き締めて、唇を奪って、自分のものにしたい、とも。
日野は、確かに俺を過去から救ってくれた。
でも、それと同時にこんなにも苦しく、痛々しく、それでいて甘い感情を与えてくれる。


「…いいんだ、もう」
そう言うと俺は、橋の手すりの外へ携帯を握った右手を伸ばした。
「先生!!ちょ…」
日野が言いかけてその手をつかもうと走りよる。
でも俺は、ためらいなくその右手を解放した。


…まるでスローモーションのように。
俺の手から放たれた携帯は、ゆっくりと水の中へ落下してゆく。
そして、大きな水音ともに、完全に池の底へ沈んでいった。
ただ、白い泡が名残を惜しむかのように浮かんでくる。
「先生…どうして…」
日野は、手すりにつかまりギリギリまで身を乗り出す。
大きな目をさらに大きくして沈んでいった携帯を見つめた。
…そう、これでいい。
思い出は思い出、過去は過去。
俺も、前に進まなければいけない。
日野にふさわしい男になるために。
胸を張って隣を歩けるように。
そして当の本人は予想外の行動に出た。
「…私、取ってくる!!」
「…は?」
「だって、あれは先生の大切な物だもん!!取ってくる!」
そう言うと、ミニスカートなのを忘れているのか、右足を思いっきり上げ、手すりに足をかけた。


何でそうなるんだ!?


「ちょっと待て!!」
俺は慌てて今にも池に飛び込もうとする日野の体を押さえた。
両足を両腕で抱え上げて、自分の目線より高いところで抱え上げる。
「先生!?何す…」
「何するはこっちのセリフだ。お前さん、この冬のさなかに池に飛び込んで、風邪引くだけで済むと思うのか」
「でも…」
「いいんだ。…あれは俺の過去だ。水の底に沈めたって、決して消え去るものじゃあないが、そうさせてくれ。今の俺には、未来を抱えていくことだけで精一杯だから」
「先生…」
そうして、目をすがめて言う。
「未来が、こんなに重いんじゃ俺も頑張らないとなあ」
「…っ、そんなに重くないです!!」
確かに思い出は大事だ。
例え苦々しくとも、過去があったからこそ、今ここにこうして教師・金澤紘人は存在するし、日野香穂子とも出会えた。
俺は、俺に再びさまざまな感情を与えてくれる体を抱き締めた。
「今度の休みに、一緒に新しい携帯買いに行こう。お前さんの番号、一番に登録するから」
大きく頷く日野の顔を見て安心する。


「…先生、そろそろ降ろして下さい」
「お前さんの足、すべすべで気持ちいいからもう少しこのままで…」
「!?…怒りますよッ!!」










<あとがき>
「ゼンタ」のイベントの後話ってことで創作しました。
停電イベントも、もちろん萌えたんですが、なぜかこっちの別れた彼女の番号が入った携帯を渡す、っていうシチュエーションに異常に萌えたので(笑)
携帯水没は、実際仕事の現場でやっちゃった人がいたので、そこからヒントをもらいました(笑)




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