いつもの通学路。
道行く人とすれ違いざま、ふと吹く風に鼻腔をくすぐられる。
…金澤先生と、おんなじ香り。




…それって、おいしい?




街の中で、あらゆる所でその煙草の香りだけは嗅ぎ分けれる。
金澤と付き合い始めて身についたスキルだ。
…こんなこと誰にも話せないなあ。
苦笑すると、金澤は怪訝そうな顔で香穂子を見た。
「何にやにやしてんだ?…気持ち悪いヤツだなあ」
当の金澤は今日も例にもれず煙草を旨そうにふかしている。
いつもの音楽準備室。
すっかり日常となったその風景は、香穂子の一番好きな時間でもあった。
「先生、煙草っておいしい?」
「うーん。おいしいって言うか、無くてはならないものだな。すでに俺の一部っていうか…まさかお前さん、吸ってみたいなんて言うんじゃないだろうな?」
香穂子はあさっての方を向いて意地悪く言った。
「さあ、どうでしょう。体に悪いから本数減らして、って言ったのに全然減らしてくれないし…私が言っても聞いてくれない程おいしいなら、私も吸ってみようかなあ」
金澤はバツが悪そうに首の後ろを掻いた。
「煙草なんて、麻薬みたいなものだ。無いと探しちまうし、体に取り込むと安心できる…まあ、ストレスの多い現代社会における、必要悪ってとこだな」
あっけらかんと、金澤が笑う。
…本気で心配してるのに。
そんな金澤の悪びれた様子も無いのを見た香穂子は、静かな怒りを燃やした。


「もうすっかり秋だっていうのに、今日は暑いな。コーヒー飲むか?」
金澤は火の点いたままの煙草を灰皿に置き立ち上がると、準備室の隅にある小さなキッチンへと移動していった。
…興味もあった。
金澤が好きなもの。
私がいくら言っても止めてくれないもの。
ばかばかしいと思っても、煙草に軽い嫉妬。
香穂子は金澤が残していった火の点いたままの煙草に手を伸ばすと、見よう見真似で口に含み思い切り吸い込んだ。


途端。
煙が、肺の中いっぱいに広がる。
息が出来なくて、苦しくて、香穂子は思いっきり咳き込んだ。
まなじりからあふれ出す涙。
口の中には苦い味が広がる。
…先生って、こんなものいつも吸ってたの!?


「おまっ…馬鹿!!」
キッチンから香穂子の異変を嗅ぎつけて飛んできた金澤は、香穂子の右手に挟まれた煙草を見て愕然とした。
煙草をすばやく取り上げ、灰皿に落とす。
「何やって…大丈夫か!?」
まだ咳き込む香穂子の背中をさする。
…大分呼吸が落ち着くと、金澤は怖い顔で香穂子から離れた。
先生、怒っちゃった!?
金澤は再びキッチンへ行くと、コップに水を一杯汲んで戻って来た。
「どうしてこんなことしたんだ?」
声が怒っている。
香穂子はバツが悪そうにうなだれた。
「だって、先生の好きなもの、試してみたくて…。先生、私が言っても全然聞いてくれないんだもん、煙草ってそんなにおいしいものかって…」
香穂子は金澤からコップを受け取ると、ひとくち口に含んだ。
「あー、それについては、俺も悪かったと思ってる。お前さんの話を真剣に聞いてやらなかったことについてはな。煙草の本数を減らす努力はする。…でも、二度とこんなことをするな」
「…はい。ごめんなさい…でも、先生こんな苦くて苦しいものが好きだなんて、やっぱりおかしいです」
金澤は香穂子からコップを奪うと、自分のデスクに置いた。
「おかしいか?慣れれば旨いんだがなあ。…試してみるか?」


すばやく香穂子の肩を引き寄せ、あっという間に唇を奪う。
いつもの、触れるような口付けではなく、焼けるような熱いキス。
口腔内に漂う煙草の匂い。
むせかえるような、金澤の香り。


苦くて苦しいのは恋に似ている。
体に悪くても、止められないのは。
だからいつも、君が必要。
無いと探してしまうし、体に取り込むと安心できる。


金澤は香穂子を唇の呪縛から解放すると言った。
「…どうだ?うまいか?」
もう立っていられなくて、膝から崩れ落ちる香穂子の腰を金澤は支えた。
「…私には、先生の方がよっぽど麻薬だよ…」
「じゃあ、煙草は諦めろ。俺で我慢しとけ」
いたずらっぽく目を細めて笑う金澤に、この麻薬はほんとクセになるかも、と心の中で呟いたのだった…。









<あとがき>
突発的ラブラブ金日話。煙草は20歳からです!!




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