その瞬間、香穂子の視界は反転した。 土浦の背後には満天の星。 吸い込まれそう、と軽い眩暈。 そして、土浦の瞳には香穂子しか映っていなかった。 土浦の唇から発せられる言葉が、香穂子の頬をなでて通り過ぎる。 唇まで、あと5センチ。 瞳の中のGalaxy 自分は、何か土浦の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。 香穂子は楽しそうに腕を組んで歩くカップルを横目で見ながら、何度目かのため息をついた。 夕方の日曜日の街は、クリスマス間近ということもあって、華やかに飾り付けられたツリーや、色とりどりの電飾など街全体がなんだか浮き足立って見える。 夜のとばりがおりるにつれて、歩道に取り付けられた電灯が人々を幻想的に浮かび上がらせ、その様相はますます濃くなっていくばかりだ。 …やっぱり、はしゃぎすぎたのかなあ…。 香穂子は、今日のために新調した白いスカートのすそをぼんやりと眺めながらうつむいた。 つい今しがたまで、自分と土浦もあんな風にショッピングを楽しんでいたのに。 肝心の土浦は「ちょっとDVD屋に行って来る」と、一緒に行こうとした香穂子に「ここで待ってろ」と言葉を残し、街の雑踏の中に消えていってしまった。 土浦くんはやっぱり騒がしいのは嫌いなのかなあ…。 クリスマスの雰囲気に感化されて、つい浮かれ気分になってしまった自分を反省した。 さっき入ったアクセサリーショップだって、ショーウィンドウに入っていた銀のネックレスがあまりにかわいくて、ついついはしゃぎすぎてしまった。 そういえば、その時視界に入った土浦の顔は、なんだか難しそうにしていた。 よし、今度からはもっとおしとやかにいこう!と心に決めて顔を上げた時。 「彼女、ひとり?」 不意に声をかけられ、びっくりして振り向くと、いかにも軽薄そうな金髪の男がこっちを見てニコニコしていた。 「さっきから見てたんだけど、ヒマそうだね。一緒にカラオケでも行かない?」 年は20代前半だろうか、不精ひげにサングラスといううさんくささ満載の顔だ。 何よ!!こっちはそれどころじゃないのよ!! と強気で断ろうとした時。 …あ、これからはおしとやかで行くって決めたんだっけ…。 でも、おしとやかってどうすればいいんだっけ…? う〜ん、と考え込んでしまった香穂子を見て、男はそれをOKと受け取ってしまったのか、 「じゃ、決まりね!車すぐそこに止めてあるんだ。行こう!!」 と香穂子の腕を強引につかんだ。 ちょっと待ってよ!!こっちはおしとやかなナンパの断り方必死に考えてるのよ!! と見当違いの怒りを感じつつ、香穂子は男の手を振り払おうとした。 その時。 力強く引っ張られる右腕。 「…俺のツレに何か用か?」 怒っている、と思った。 次の瞬間、香穂子は土浦の胸の中にいた。 右腕は土浦の右手にしっかりとつかまれ、左肩には土浦の左手が守るように置かれている。 「なんだ、男連れなら、そうとさっさと言えよな…」 香穂子と同じくらいの身長の男が、身長181センチの土浦ににらまれたらひとたまりもない。 逃げるように雑踏の中に消えていった。 「…ったく、なんであんな妙なのに引っかかるんだ、お前は?」 土浦は香穂子の腕を放すと、あきれたように髪をかき上げた。 「で、なんですぐ俺を呼ばない?」 今度は少し怒ったように言った。 香穂子はこみ上げそうな涙を必死に押し殺した。 …ここでなんで一人にしたの、って責めちゃいけない。 だって、土浦くんは強い女が、骨のある女が好きだってコンクール中言ってた。 ここで泣いたら、土浦くんにますますあきれられちゃう。 香穂子は、つとめて明るい声で、必死に笑顔をつくって言った。 「…大丈夫、大丈夫。あんなの、一人でどうにでも出来たから。いざとなったら、大声出したりとかして…」 「ちょっと来い」 香穂子が言い終わらないうちに、土浦は香穂子の右腕を引っ張り、どんどん歩いていく。 「土浦くん!?…ちょっ、待って…」 いつもは、香穂子の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる土浦が、足早にどんどん歩いていく。 小走りにならなくては追いつけないくらいだ。 …怒っていると、思った。 右腕が、さっきつかまれた時より数段痛かった。 夜の公園は、まだ8時だというのに人ひとりいなかった。 昼間なら、たくさんの子供連れや散歩のお年寄りで賑わう住宅街の公園。 師走もおしせまったこの時期、しかも夜ともなれば誰もいないのも当然だった。 街の騒がしい雰囲気とは違い、ぽつぽつと浮かび上がる電灯は物悲しささえ感じる。 …まるで私の気持ちみたい。 土浦は公園の奥へどんどん入っていく。 公園の奥、更にその奥はちょっとした森になっている。 芝生があって、夏にはその木陰で休むととても気持ちがいい。 土浦とも何度か訪れた公園だった。 「土浦くん、どこまで行くの…!!」 香穂子が抗議の声を上げた時だった。 強く腕を引っ張られ、思わず茂みの芝生の上に倒れ込む。 倒れる瞬間、土浦が体を支えてくれたのか、衝撃は無かった。 それでも、いきなり引っ張られびっくりした香穂子は非難の声を上げようとした。 その瞬間、香穂子の視界は反転した。 土浦の背後には満天の星。 吸い込まれそう、と軽い眩暈。 そして、土浦の瞳には香穂子しか映っていなかった。 「…これでも大丈夫って言えるか?男の腕力でねじ伏せられて、自力で逃げられるのか?」 土浦の唇から発せられる言葉が、香穂子の頬をなでて通り過ぎる。 唇まで、あと5センチ。 右手も左手も、土浦の両手で押さえつけられて、力を込めてもまるでびくともしなかった。 両足をばたつかせようとしたが、そこで初めて自分の白いスカートからのぞくひざの間に、土浦の右ひざが割って入っているのに気がつき愕然とした。 右手から、左手から、両足から土浦の体温を感じる。 土浦の目が、まっすぐに香穂子を射抜く。 何か言おうとしたが、何も口から発せられない。 まるで石になったように動けなかった。 こんなに怖い土浦は見たことがない。 ああ、やっぱり土浦くんも男のひと、なんだあ…。 土浦の視線から、逃れるように覚悟して瞳を閉じる。 次の瞬間。 「な、これでわかっただろう。いくらお前が強がったって、男の腕力にはかなわないってこと」 土浦は香穂子の腕を放すと、体を反転させて横たわる香穂子の右隣に腰を下ろす。 香穂子は何だか拍子抜けして体を起こした。 と同時に、土浦に対して猛烈に怒りがこみ上げてきた。 「…何よ、先に一人にしたのは土浦くんじゃない!!それに、土浦くんが強い女が好きだからって私無理して…!!」 言いながら土浦の左腕をこぶしでぽかぽかと叩いた。 「ああ、それについてはあやまるって!!悪かったよ。…実はこれを買いに行ってたんだ」 そう言うと、ジャケットの右ポケットからきれいにラッピングされた細長い箱を取り出し、香穂子に渡した。 「これって…?」 「開けてみろよ」 香穂子は割れ物を扱うようにそっと包装をはがすと、箱のふたを開けた。 それは夕方、アクセサリーショップで香穂子が気に入った銀のネックレスだった。 「それ、かなり気に入ってたみたいだったからさ」 照れたように視線をそらす土浦。 「…うそ、すごく嬉しい…」 途端に、抑えていた涙が零れ落ちた。 プレゼントも何よりも、これを買いに行ってくれた土浦の気持ち、あきれられてなかったという安堵の気持ちが抑えきれなかったのだ。 「ちょっ、お前泣くなよ!!」 さっきの怖い顔とは一変、土浦が慌てる。 そのギャップがおかしくて、香穂子は涙を流しながらくすくすと笑った。 「今度は何笑ってるんだよ。おかしなやつだな。…だいたい、俺強い女が好きだなんて、いつ言った?」 「言ったよ!コンクール期間中に!!」 今度はふてくされた香穂子を横目に、土浦は気まずそうに髪をかきあげた。 「…でも、ああいう場面では俺を頼れよ。男として情けなくなるだろ」 言うと、香穂子の両手を自分の両手で包み込むように握った。 「ほんとごめん。強く引っ張って痛かったろ。…でも、本当は怖かったんだろ。泣きそうな顔して大丈夫だって言うから。手つかんだ時だってすごく震えてたし。ごめんな、…もう一人にしないから」 また涙目になる香穂子を、土浦はそっと抱き寄せた。 しばらくそうして、香穂子が泣き止むのを待って土浦が立ち上がった。 「そろそろ帰るか。すっかり遅くなっちゃったな。送っていくよ。またさっきみたいなことがあったら困るし…送らせてくれるだろ?」 「…お願いします」 まだ座ったままの香穂子は素直にうなずくと、土浦が差し出した手をとった。 やっぱり土浦の背後には満天の星。 けれど、さっきとはまた違うやさしい光。 と、次の瞬間思ったより力強く手を引かれて、土浦の胸の中に飛び込む形となった。 「ちょっ、土浦くんまた…!!」 土浦は香穂子の体を抱き締め、耳元でささやいた。 「ていうか、お前無防備過ぎ。ちょっとは俺の苦労と自制心わかれ。…さっきの続きは、また今度な」 |
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<あとがき> そうです、土浦恋愛4段階休日デートの捏造です。 自分だったらこんなオイシイイベント、こんな感じで掘り下げるな、と妄想して製作しました(笑) うちの土浦は言葉でわからなかったら実力行使に出る亭主関白男です。 そしてうちの香穂子はちょっと抜けてます(笑) close |