きっかけは、カレイの煮付けだった。 嫉妬 「…どうしたんですか?今日の夕餉はやけに豪華ですね」 往診から帰宅した弁慶さんが、外套を脱ぎながら言った。 えへへ、と笑ってご飯を茶碗によそる。 良かった、弁慶さん嬉しそう。お隣の奥さんに手伝ってもらった甲斐があったというものだ。 「今日、九郎さんが持ってきてくれたんです。いいカレイが手に入ったからって」 ぴたり、と弁慶の外套を畳む手が止まったことに、望美は気付いていなかった。 九郎は先の源平の戦乱で共に戦った仲間だ。 今は堀川御所という所に住んで、京を治める仕事をしている。 「…九郎が来たんですか?」 「はい!それで、せっかくのカレイなんで、失敗しないようにお隣の奥さんに手伝ってもらって…」 「僕のいない間に、九郎をこの家に上げたんですか?」 遮るように言った弁慶の言葉に、望美は少し困惑した。 「…いえ、九郎さんが、主のいない家に勝手に上がるわけにはいかないと言ってすぐ帰ったんですけど…私はお茶でもって勧めたんですけど…」 弁慶はほっと、息を短く吐いた。 「…そうですか」 そんな弁慶の様子を望美は気付かずに言った。 「なんだか九郎さんすごく疲れている様子で…最近お仕事が忙しいみたいで。お話を聞いてあげたかったんですけど」 「戦が終わったとはいえ、まだまだ京の治安は不安定ですから。仕方がないことです」 「最近は人事で何か衝突があったみたいで。心配です」 「人の上に立つ者の宿命です。堪えることも必要ですから」 「近頃夢見も悪いって言ってました」 「少し体を動かすようにすればよく眠れるようになりますよ…立ち話にしては、ずいぶん話し込んだんですね?」 その探るような言い方に、望美は少し不機嫌になった。 折角弁慶さんの好きなカレイを持って来てくれたのに。 「そんなことないですよ。…弁慶さんも、さっきから九郎さんにちょっと冷たくないですか?」 「九郎は、僕のいない間に君に甘えに来たんでしょう?それで十分ではないですか」 その言い方に、流石に望美もカチンときた。 思わず夕餉の用意を中断して、立ち上がる。 「…何ですか、それ!!そんなことないです!!ただ、カレイを持ってきてくれただけで…」 「それは、口実ですね。君に逢うための」 「どうしてそんなこと言うんですか!?九郎さんは一緒に戦った仲間じゃないですか!!」 不意に。 弁慶に左手をぎゅっと掴まれる。 「…本当にそう思ってるんですか?只それだけのことだと」 「…?」 「九郎が本当に君の事をなんとも思ってないと、言い切れますか?」 怖い位に真剣な瞳に、吸い込まれそうになる。 「…君は無防備すぎる。君は、今は誰の奥さんなんですか?」 痛いくらいに掴まれた左手よりも。 弁慶さんに信じてもらえていない、そのことが悲しくて。 「…きらい。こんな弁慶さんなんて、…きらい、です!!」 −言っちゃった… その瞬間、視界に入った弁慶さんの顔はきっと一生忘れないだろう。 何も写さない、感情のない瞳がこちらを見ていた。 傷つけた…!! そう思ったけど、もう遅い。 居たたまれなくなって、少し緩んだ腕をすり抜けて玄関へ走り出す。 もう少しで引戸、という所で右手を力強く掴まれた。 そのまま引っ張られて、壁に荒々しく押し付けられる。 「…いたっ…!!…何、するんです…か」 動こうにも、両手首を掴まれ壁に体ごと押し付けられて、全く身動きが取れない。 弁慶さんの氷のような二つの瞳が、暝い光を帯びて真っ直ぐに私を映す。 −こわい、と思った。 一緒に暮らし始めてから、こんな弁慶さんは初めて見る。 「…余裕なんて、ないんですよ、僕は…。君を、こうして縛り付けておきたくて、他の男の目に晒させたくなくて、仕方が無いんです」 「べんけいさ…っ…う、…っん…」 −言葉は弁慶さんの唇に依って飲み込まれた。 普段の愛慕のこもった優しい口付けとは程遠く、荒々しく唇をこじ開けられる。 こんな風にされるのは嫌だ、と必死に抵抗を試みても虚しく、ただされるがままに口腔への侵入を許す。 何処にこんな力を秘めていたのだろう、普段の彼からは想像も出来ない。 もがけばもがく程、手首をきつく締め付けられ、密着している躰はさらにきつく重なり合う。 躰が、思考回路が彼の激しい行為で甘く痺れ、麻痺してゆく。 お互いの衣擦れと行為の音だけが、小さな部屋にやけに大きく響く。 息をつく間も許してくれない。苦しい。 なんとか呼吸しようと漏らした自分の吐息の甘さに、恥ずかしくて思わず涙が一筋こぼれた。 −やがて自力で立っている事も難しくなって、押し付けられている壁伝いにずるずると尻餅をつくと、やっと弁慶さんは唇の呪縛から私を解放してくれた。 「ああ…泣かせてしまいましたね」 私と同じようにしゃがみこんで、まなじりから溢れた涙を唇でそっとなぞるように拭っていく。 その優しい行為に、やっといつもの弁慶さんだ、と安堵の息を漏らした。 「申し訳ありません…君を泣かせてしまうつもりではなかったんですが…」 落ち着かせるように、私の頭を撫でる。 「…弁慶さん、こんなの…ひどいです」 抗議するように上目遣いで軽く睨む。 「すみません、僕も大人気なかったですね…九郎に嫉妬するなんて。君を信じてなかったわけじゃないんです」 さっきとは打って変わった優しい瞳で言った。 「僕も一応男ですから。愛する人が、他の男の話を一所懸命したら、こっちを向かせたくなるのは、当然でしょう?」 ―ずるい、と思う。 こんな風に心を掻き乱されて、いっぱいにされて。 私の心の中は、もう何処にも隙間の無い程の弁慶さんを想う気持ちで溢れ出しそうだというのに。 そして彼は、にっこりと微笑んで言った。 「で?嫌いですか?僕のこと」 その笑顔が、憎らしくて、愛おしくて、嫌いじゃないですと小さな声で呟いた。 結局、好きですって言うまで許してもらえなさそうなことは分かっているけど。 |
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<あとがき> すいません、温いです…(笑)。私の書くこのテーマはこんな感じです。 close |