「知ってますか?紫陽花は蕾の頃は碧、花が咲くにしたがって蒼、そして種類によっては紅色と変化していくのです。まるで虹のように」 雨が長く続いた水無月のある朝。 今朝は、今にも雨が降り出しそうではあるが、何とか曇り空に留まっている。 何か庭からする物音で目覚めた時、横に彼女の姿が無かったので慌てて飛び起きる。 彼女がこんなに早起きなんて、と寝間着のまま上掛けを羽織って縁側に出てみた。 朝露が庭の木々に光って雫が落ちた。 うっすらと朝靄が辺りに立ち込める中、庭で何事かしゃがみこんで土をいじっている彼女に声を掛ける。 「何をしてるんですか?望美さん」 彼女は笑顔で振り向くと、何か苗のようなものを掲げて見せた。 「近所の人に、紫陽花の苗をいただいたので、植えてみようと思って」 見れば、数鉢の苗のようなものが足元には置かれている。 「昨日、植え方を教わったのでやってみようと思って。…譲くんが居れば、もっと上手な植え方とか分かったんでしょうけど」 その彼女の幼馴染は、遠い時空の向こうにいる。 表情が曇ってしまった彼女。 僕は縁側から履物を履いて、彼女の隣にしゃがみこんだ。 「僕も手伝いましょう。植物の植え方なら、基本的な知識はありますから」 笑いかけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。 ―僕は、紫陽花が苦手だった。 「知ってますか?紫陽花は蕾の頃は碧、花が咲くにしたがって蒼、そして種類によっては紅色と変化していくのです。まるで虹のように」 紫陽花の花言葉は、「移り気なこころ」。 そう、まるでそれは僕。 ある時は平氏の薬師であり、熊野の間者。 ある時は源氏の軍師。 周囲によって、環境によって変化していく。 ―お前の、本当の心は何処に在る? そう責められているようで。 勿論、自分で選び取ってきた道だ。 後悔は無い。 ―そう思っていた筈だった。 だけど、この隣に居る彼女のお陰で、僕の頑強な精神は脆くも崩れ去った。 例えどのような道を選び取ったとしても、彼女を傍に置きたい、彼女だけはどうしても手放せない、と悟ってしまったのだ。 それは僕にとっては致命的で。 どんな場所に居ようと、どんな裏切りを働こうと、例え嫌われてもこの想いだけはどうしても信じて欲しい、と祈ってしまう。 ―だから、紫陽花が苦手だ。 「紫陽花って、何だか寂しそう」 彼女は、そっと苗の葉に手を触れた。 「雨に打たれても、健気に咲いて。…きっと、花の色が変化するのも、優しいからなんでしょうね………私は好きです、紫陽花」 そう言ってにっこりと僕に笑いかけた。 ―思いがけない彼女の言葉に、思わず手を止めた僕を彼女は不思議そうに見た。 「どうかしましたか?弁慶さん」 「…本当に、かないませんね、君には」 ふふっ、と笑うと、彼女はますます不思議そうな顔で僕を見た。 「僕も大好きですよ―君が」 ―紫陽花のもう一つの花言葉は、「強い愛情」。 そう、きっと。 来年の今頃には、大輪の花を咲かせるだろう。 いつの間にか曇り空から初夏の日差しが顔を見せていた。 |
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<あとがき> 弁慶さんの「象徴物」が「紫陽花」(ウィキペディア)という設定を知って創作しました。 ちなみに紫陽花はその土地の酸性度によって色を変えるそうです。 close |