※この話は1000HIT月森創作「君に出会って変わったこと」3000HIT土浦SS「ひらかれしその扉は」から続いています。 金澤SSとして単品でももちろん読めますが、そちらの方もよろしかったら読んで頂ければ嬉しいです。 金澤は、たった今音楽室から出て行った土浦から押し付けられた紙を見た。 −音楽科転科希望届。 書面には、きっちりした文字で「土浦梁太郎」の署名があった。 …あいつも、腹を決めたんだな。 準備室に向かい書類を自分のデスクにしまうと、窓際に行って窓をからり、と開ける。 窓枠に手をつくと、遠くの方から部活の練習だろうか、人の歓声や雑多な音が微かに聞こえる。 始まりのための別れ 白衣のポケットを右手で探ると、そこに目当てのものがなくて思わずため息をつく。 …未練、だな。 失くしてしまった大切なものを取り戻すためには、強い意志が必要だ。 確かに、最近の俺は余裕がない。 それは、長年自分と共にあった相棒、とも言えるべきものを手放す決心をしたからなのか、それとも。 春のコンクールから、何かが少しずつ変わり始めていた。 コンクールメンバー達の演奏。ただ、自分達の技術や嗜好を求めるだけだった演奏は、確実に変わりつつあった。 そして、ピアノを人前で弾くことを止めた土浦でさえ、今は音楽に必死に向き合おうとしている。 自分だって例外ではない。再び、立ち上がろうとしている。 …変わってゆく、ただ一人の、少女のために。 若いなあ、と口の中で呟く。 彼らの想いは純粋だ。若いが故に、その演奏は真っ直ぐに気持ちを歌い上げる。 自分には決して出来ない芸当だ。正直、彼らがうらやましいと思う。 自分にもしかつてのような喉があったら、と考えかけ、止めた。 失くしてしまったものを仮定しても仕方がない。全て自分の愚かな行動が招いた結果だ。 音楽に絶望した時期だってあった。二度と、歌うことはないだろう、と。 それでも、どうしても再び音楽に向き合う決心をしたのは、彼女にふさわしい男になりたい、と思ったからだ。 たとえ、その先にあるのが今まで逃げていた結果の絶望だったとしても。 もう逃げない。どんなにみっともなく這いつくばってでも、決して諦めない。再び、大事なものを取り戻すために。 彼女の隣に並んで立てる男でありたい。 ごくり、と唾を飲み込んで、軽く息を吸う。 体に染み付いた呼吸法で息を吸い、唇から、声ではない、それは「歌」というべき音程を奏でようと試みる。 小さく、基礎的な発声練習とも言えるべき音階を発したとき、喉にひりつくような痛みを感じて思わず咳き込んだ。 …やはり、そう簡単には言うことを聞いてはくれないらしい。 不敵に笑う。 とことん付き合ってやる。そして、必ずこの手に取り戻してみせる。 音楽準備室の扉を開けると、そこに吉羅が立っていた。 「おー、なんだ吉羅。来てたのか」 吉羅は、相変わらずの仏頂面だった。 「ええ。色々と煩雑な仕事がありましてね。…?」 訝しがる吉羅に尋ねる。 「何だ?どうかしたか?」 「…煙草の匂いがしませんね」 こいつは猫か、と少々面食らったが、すぐに苦笑いになって言う。伊達に年を取っちゃいない。こういう時の落ち着きの取り戻し方は、年を重ねるごとに身についたものだ。 「止めたんだ。煙草」 吉羅は、一瞬驚いた顔したが、ふっと口元を歪めると言った。 「…そうですか」 その笑顔が生意気で、なんだかむず痒くなって、すれ違いざま吉羅の左肩をぽん、と叩いた。 「新鮮な空気を吸いに森の広場にでも行ってくるわ」 そのまま頭を掻きながら、音楽室を後にする。 出遅れている時点で、他のライバル達とは一歩差がついている。 ましてや自分は教師だ。こんな気持ちを、生徒に抱いているなんて全くどうかしている、と思う。 それでも、彼女に逢いたくて、彼女の奏でる演奏が聴きたくて、つい姿を探してしまう。 もはや、煙草以上に彼女の音楽は俺にとって生活の一部だ、ということを痛感した。 |
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<あとがき> 7,000HITありがとうございました!! 次回「吉羅編」です☆ ←3,000HIT close |