革命前夜 (後編)


吉羅の用意したハイヤーは、俺のアパートへ着くと吉羅を乗せたまま、また夜の闇へと戻っていった。
「…ったく」
腕の中の日野は、今は安らかな寝息をたてて眠っているようだった。
この分なら、目が覚めたときには通常に戻っているだろう。
少し安心して、自室への階段を昇る。


…なんとか苦心して自室のドアの鍵を開け、室内に入るとほっとした。
とりあえず、ブーツを脱がせ、畳の上に降ろして横たわらせる。
来客用の布団を敷き、その上に移動させ、着ていた上着を脱がせた時にやっと自覚した。


…キャミソールからむき出しの肩、とか。
ハーフパンツから伸びる白い足、とか。


なるべく見ないようにして、そっと毛布をかける。
…一度体制を立て直そう、と台所へ行き、コップに冷蔵庫から出したミネラルウォーターをそそぎ一気にあおる。
なに意識してるんだ、相手は酔っ払いの高校生だぞ…!!
きっと酒のせいだと自分を納得させ、戸棚から新しいコップを出し、水をそそぐ。
日野のもとへ戻ると、相変わらず無謀な寝顔をさらしていた。
ため息をひとつつき、日野の横に座ってかたわらのテーブルにコップを置いた時だった。


「せんせ…」
うわ言のような甘い声が、俺の右腕をつかんだ。
一瞬、心臓が止まる。
日野は、仰向けのまましっかりと目を開け、焦点のきちんと合った目で俺を見た。
「…お前さん、狸寝入りしてたのか」
「途中まではほんとに寝てましたよ」
「いつから起きてた?」
「先生のアパートの階段を昇ってる途中から」
…っていうことは、動揺したのとか見られてたのか!?
焦る気持ちを抑えて、自分の出せる一番低い声で言う。
「…どうして、あんなことをしたんだ」
日野は、俺のいつもと違う声に動揺したようだった。
「だって…」
「だってじゃない。高校生が飲酒しちゃいけないって、ちゃんと分かってるよな」
「…ごめんなさい」
「いいか、二度とするなよ。お前さんの体のためにも、高校生としてもだ」
とりあえず、意識もしっかりしているみたいだし、これなら送っていっても大丈夫そうだな。
「…よし、じゃあ家まで送るから、タクシー呼んでく…」
言いかけて立ち上がろうとしたした俺の右腕を、日野が強く引っ張った。


「…お願いします。今夜はここに泊めて下さい」
懇願する瞳。
…これは、何だ。
まるで悪い夢を見ているようだ。


「…お前」
「今日は、菜美の所に泊まるって、親に言って出てきたんです」
「…どういうことだ」
「今夜は最初からここに泊まるつもりだったんです」
「お前さん、俺をからかってるのか?怒るぞ」
日野は、上半身を起こすと俺の右腕を強くつかんだ。
「からかってなんかいません!!…これでも、かなり勇気振り絞って、覚悟を決めて今日は来たんです」
俺は、今日何度目かのため息をつくと、日野を見つめた。
「自分が何言ってるのか分かってるのか?」
怖いくらいに真剣な日野の瞳と目が合う。
「…分かってるつもりです」
…頼むから。
そんな、女の目で俺を見ないでくれ。
「じゃあ、酒飲んだのも、ここに来ることもすべて予定どおり、って訳か」
「だって」
「…送っていく」
俺は冷たい声でそう告げると、日野の手を振りほどいてタクシーを呼ぶために電話口の方へ立った。
「先生、待って!!…っ」
背中で、日野が勢い良く立ち上がる気配がする。
振り向くと、案の定目を回した日野を、両腕で受け止める。
「…だって、先生がもう戻ってこないような気がして。不安でどうしようもなくて。いっぱい、いっぱい考えたんだよ」
涙声の日野は、俺にしがみ付いて胸に顔をうずめた。
「…だから、先生」


「私を…先生のものにして」
…俺の服で、声はくぐもっていたが、聞き間違いでは無いだろう。
「不安じゃ、なくならないように。きっと帰ってきてくれるって、信じれるように。…お願い」


…不安なのは、俺も同じだ。
年齢、立場。
日野のことを、他のコンクールメンバーや吉羅がどんな風に見てるか、俺は嫌と言う程、知ってる。
瞬間、吉羅のセリフが脳内をこだました。


『…そんな風にさせないようにしてあげたらどうですか?』
確かに、何の約束もせず不安にさせているのは、俺だ。


俺は、日野の熱い体を抱えると、布団に横たわらせた。
それと同時に自分の体で覆いかぶさる。
「…体が繋がることで安心できるのか」
日野は、目を伏せたままゆっくりと頷いた。
髪が、頬にかかって綺麗だ。
まだ酒の残る体は、熱さを残して胸をゆっくりと上下させている。
その赤い唇から生じる吐息が、俺の頬にかかる。
右手で頬に触れると、電流が走ったように一度体を震わせた。


…こんなに愛しい体が。
今、この手の中にある。


そして。
俺は覚悟を決めた。


−ぺちん。
室内に響く軽い音。
俺が日野の額を手のひらで軽く叩いた音だ。
「…これは、両親に嘘をついて、飲酒した罰」
そして、俺は呆気に取られた顔の日野の左手を高く持ち上げ、自分の額を軽く叩いた。
−ぺちん。
再びこだまする奇妙な音。
「…これはお前を不安にさせた俺への罰」


「せんせ…」
日野が何か言うやいなや、俺は彼女を強く抱き締めた。
「ごめんな、不安にさせて。こんなことさせるまで、お前を追い詰めていたんだな。でも、こんなことで安心できるなんて、悲しいこと言うなよ。俺はちゃんと帰ってくるから。…ここに」
そして、彼女の額に口付ける。
「だから、信じて待っててくれ。お前さんのそば以外に…帰る所なんてないからさ」
日野は、ほっとしたように泣きながら俺を抱き締め返し、何度も何度も頷いた。
…そうして、泣き止むのを見計らって体を離す。
泣きはらした顔の日野にいたずらっぽく笑って言った。
「さっきの申し出は、その時が来たら有難く受けさせてもらうからさ。その代わり、今夜は朝までずっと一緒にいよう。…あとで、天羽にはちゃんとフォロー入れとけよ」


そして、二人で手をつないで。
壁に寄りかかりながら一つの毛布を二人で共有して、膝にかけて。
あったかいコーヒーと、いつまでも他愛のないおしゃべり。
今まで話す事も無かった、好きな食べ物の話、映画の話、子供の頃の話。
とりとめのないおしゃべりは尽きることが無くて。
−それでも、終わりは来る。
お互い分かっていても、考えないように、そんなこと感じさせないように語り合った。


そうして、一条の朝の光が差し込む頃には、どちらともなく優しい眠りに落ちていた。
肩を寄せ合って。


そして。
旅立ちの、朝は、来た。









<あとがき>
アンコールの金澤先生ルートがあまりにも素敵過ぎて、創作するのにいろいろと悩んでしまいました。。。
スペシャルでのふっきれた先生が素敵スギです…!!
ここまで読んでいただいて有難うございました。

前編




close